茶臼山城址(文化の丘)

琴弾の岩周辺を訪れた際、猿掛城址に登るのを断念したのが気になっていたのですが、矢掛の中心部の東に茶臼山という山があり、そこにも城址があるというので、今度は行ってみました。
車でいけるというのが一番ですね(笑)。


細い山道をグルグルと登ったところに茶臼山城址があります。

案内板。

『茶臼山城址
天正三年(1575年)毛利元清は備中一円を平定して猿掛城へ入ったが、民政充実のため天正十二年(1584年)標高九十六メートルの茶臼山へ移城した。
そして慶長五年(1600年)関ヶ原の戦に西軍が敗れ、毛利氏が萩へ西帰するまで十六年間在城した城址である。その間には天正十五年(1587年)の九州征伐に引き続いて征韓の役で三度往復の途次、豊臣秀吉が再三立ち寄った史実があり、また長府藩主毛利秀元との由縁も深い。
さらに築城史的にも中世の山城から近世の平城に移る過渡期の升形をもった平山城の典型的な形式を遺し周囲に濠を廻らし、本丸、太鼓丸、二の丸、三の丸、小丸、的前と幾段にも曲輪や櫓を設け、鎮守の段、爺が段、茶屋敷、渇れずの井戸の遺構など、山陽道の要衝を扼した城構えを今に遺す貴重な史跡なので、矢掛町合併三十周年を記念し、「茶臼山文化の丘」として整備したものである。』





結構広い駐車場で、トイレも完備です。ただ、私が行ったときは誰ひとりいませんでした。どうやら桜の名所らしく、春には大勢の花見客でにぎわうそうです。


本丸とか、二の丸とか、そういのがどこにあったのかあたりをうろついてみましたが、それらしい広場はあちこちにありますが、どこが何なのか、さっぱりわかりません。





こんな社(で良いのでしょうか・・・?)がありました。何を祀っているのかは不明です。一応、お賽銭を入れておきました。





ここが本丸址かとも思ったのですが、今一つよくわかりません。





南方面にはさらに奥に向かって道が続いています。





道を進んでいくと、こういった広場が段々になって整備されていました。 さっきの社があった場所よりはこちらの方が小高いので、ここが本丸址かとも思いましたが、これも今一つ定かではありません。





こんな石碑が建っていましたが、歴史の説明をするようなものではなかったような・・・(すみません、忘れてしまいました)。





広場からの眺めです。こんなところで一杯やりながら花見というのはなかなか風情があって良いですね。
私の花見スポットがひとつ増えた気がしました。来年の春はおそらくここに来るでしょう。





先ほどの広場から少し下ると、こんな感じで段々になっていて、整備されています。





広場もあり、





山登り用の道もあり。確か、ヘルシーロードという名前が付けられていたように記憶しています。





道にはこんな案内板もあり、歴史の勉強ができます。
矢掛地方には石器時代から人が住んでいたようですね。そういえば矢掛郷土美術館にもこのあたりから出土した土器が展示されていました。







結局、本丸址というのがわからないまま、ここを後にすることになりました。
「どこだったのかなぁ。。。」
なんて思いながら車を少し走らせるとこんな道が・・・。

もしかしてこの先に本丸址が?なんて思いましたが、さすがにこの先をまた歩いて登っていく気力がなく、諦めて帰ることにしました。。。

せっかく行ったのに、日暮れが迫ってきたために何が何やらわからぬままに帰ることになってしまい、後悔しつつネットで茶臼山城について検索してみると、やはりお詳しい方がおられました。

>>落穂ひろい

かなり詳しく写真つきで解説されています。茶臼山城はこのページにて解説されています。
来年花見に行く時には、このサイトで予習してから出かけようと思っています(笑)。


それにしても、こんな山の上に城があり、羽柴秀吉が訪れていたというのも吉備真備とはまた違った感動があります。
日本史上に燦然と輝く出世頭がこの地に立っていたのですから、少しでもあやかりたいものです。

吉備真備のふるさと

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