矢掛本陣石井家

矢掛の中心部にきたら、とにかく寄っておくべきところの一つが本陣石井家です。

本陣とは、参勤交代で江戸との往復をする諸大名、公家、役人などが泊ったり休憩したりする宿のことを指します。国の要人ですから、山陽道18番目の宿場町として、専門にお世話をする宿という位置づけで指定されていたそうです。


石井家は、この矢掛の地で庄屋をしており、また造り酒屋としても栄えていたことから当時の領主板倉氏より本陣の職に任命されたようです。 もともとは毛利家に仕えていたそうですが、関ヶ原の合戦以降にこの矢掛に住みつき、家を興したとのことです。

この案内板にはそういう話が書かれています。







こんな感じの外観です。手前にある門、あれが大名や貴人が出入りした御成門です。
やはり、大名や公家が泊る宿だけあって、結構大きな宿です。


ちなみに、本陣の補佐的な位置づけとして"脇本陣"がありました。この矢掛では高草家が脇本陣としての職に指定され、やはりこちらも大きな家が現存しています。





これが脇本陣高草家です。写真でパッとみただけでは本陣石井家と混同してしまいますね。
中に入れるのかと思っていたのですが、どこにもそれらしき看板がなく、昔ながらの民家のような印象でした。ネットで調べたところ、なんと今でも高草さんがお住まいで、中は非公開なのだとか。


江戸時代のこうした宿場町は日本中あちこちに残されていますが、本陣と脇本陣がそのまま現存しているのは実は矢掛宿だけなのだとか。相当に貴重です。
当然、両方ともに国の重要文化財の指定を受けているのですが、そういう家に住む高草さんは日々プレッシャーを感じながら生活しているのかもしれません。なんだか我が家であって我が家でない、そんな感じですね。

とにかく、非常に歴史的な意義の大きい町といえます。

話がそれてしまいましたが、早速、本陣石井家へ。。。
ちなみに、本陣石井家の中に入るには、入館料400円が必要です(大人)。

外観に比して意外なほど小さな戸をくぐり(御成門ではありません)、中に入るとすぐ右に管理事務所があります。そこで入館料を支払います。
頼めば家の中を案内もしてくれます。
見て回るだけでは絶対にわからないようなお話が聞けるので、行かれる方は案内を頼みましょう。





これは中に入ってすぐのところ、店土間にあった公衆電話です。入ってすぐに目につきました。いつ頃の時代のものかわかりませんが、大正とか昭和初期とか、そんな感じでしょうか。






見取り図ですね。
案内された方のお話によれば、この石井家は奥行がなんと100mもあるのだとか。造り酒屋なので酒蔵等の関係でそうなっているということですが、それにしても大きな屋敷です。





これはいろいろな神社の神様・仏様を祀っているそうで、昔の商家の特徴なのだそうです。





どこの神社かまではわかりませんでしたが、例えば伊勢神宮や出雲大社(→管理人の勝手な想像です)、その他大小さまざまな神様・仏様を"とにかく"祀る。そんな感じだったみたいですね。
なんだかそれが結構意外でした。昔の人ってもっと一途かと思っていたものですから・・・。






これは大名から石井家がいただいた拝領品。考えてみれば、こうしたお宝があるのも本陣であれば当然なのかもしれません。






これは内側から見た御成門(おなりもん)。高貴な方が宿に入るときだけに使われた門です。





見えにくいので正面から撮影しました。なるほど、私が先ほど入った門とは雲泥の違いです。





これは御成門の脇にあった通用口です。お供の方なんかはこちらから出入りしたようです。





これが御成門をくぐった正面にある玄関です。
"玄関"でいいのかな?
諸大名たちは、ここから屋敷内に上がっていったということでしょう。






これは屋根瓦ですが、しっかりと石井家の家紋が刻まれています。
瓦に家紋を入れるってところがすばらしいですね。世界にここだけのオリジナルの瓦ってことです。





御座敷の様子です。






こんな案内板もありました。
ここにも書かれているように、本陣とは、参勤交代の大名のみならず、宮家・公卿・幕府役人・高僧その他の要人・貴人が休泊した施設です。

江戸との行き来の際に使用した宿ということですから、利用したのは矢掛より西の大名ばかりと思っていましたが、長州征伐のときなんかは東の大名たちもここに宿をとったんですね。昔の宿帳にはそんな貴重な記録がたくさん残されているそうです。






御成門から玄関入って正面すぐのところにあった絵です。
立派な猫の絵だと思ったのですが、人によってはこれは犬の絵だといわれる人もいるとか。作者その他のことが不明なため、真相は闇の中です。






先ほどの絵の裏側に書かれている漢詩です。この作者が1800年ごろに活躍された方ということで、もしかしたら先ほどの絵も同じころの作かもしれないということでした。






これは宿札とか関札と呼ばれるもので、大名が宿泊・休憩していることを示す札です。
こういう札は、われわれ現代人の感覚では、宿側が用意し、周辺に『うちにお殿様がいるんだぞ!どうだ!!』とか、『粗相のないようにするんだぞ!』とか、そんな感じで鼓舞するものと思いがちですが、実は休泊する大名(や貴人)側が用意するものなのだそうです。

なぜかというと、そもそも本陣とは、戦国時代のころより、戦(いくさ)のときの本営を表わす言葉として使われていた言葉で、その意味とは、"大将のいる場所"ということになります。そして、いくさのときは、当然、本陣は自分たちで設営しますし、設営したら、『大将はここにいるぞ!』と札を掲げる、、、これが元々の宿札の姿であったわけです。江戸時代の本陣は、このことに由来してそう呼ばれるようになっていますから、宿札は大名サイドが事前に用意し、宿側に渡すものなのだそうです。

別の言い方をすれば、人が経営する宿を自分の家のように捉えていた、という見方もできるかもしれません。自分の家の表札に敬語をつけることはありませんから。
ちなみにこの宿札、先遣隊が大名が到着する数日前に本陣に訪れ、宿側に渡していたそうです。





『新見加賀守休』
御休ではなく、休だけですね。





『有馬ナントカ大将宿』
これも御宿ではなく宿だけです。





『松平肥前守休』
これは化け猫騒動で有名な松平家の宿札なのだそうです。これも御という言葉は使われていません。





これは宿札の裏書で、いつ宿泊したとか、どんな様子だったとか、ほめられたとか褒美をもらったとか、そんなことが書かれていたりするそうで、宿側が書いたものと思われます。
宿札にこうした記述があることで、当時の様子をうかがい知ることができるそうです。






これは若干珍しい宿札で、敬語が使われています。

『御勅使 梅渓中将○小休』

これは何を意味しているかというと、宿側が用意した札だということですね。
大事なお客様、それも貴人の宿札なのですから、宿側が用意するのであれば敬語を使うのが当然です。
また、武家以外の人たちはもしかしたらこうした宿札を持参するという習慣がなかったのかもしれません。本陣とか、宿札(関札)とか、そういったものは戦をする武家ならではもの、、、そう考えると、武家以外は宿札を持参するという習慣がないというのもあながち外れではないかなと思ったりもします(素人の推測です)。






護衛の間ということで、御供の方々が控えていた部屋です。近習侍たちのお部屋でしょうか。






これはいわゆる宿割帳です。
大名行列ともなればその規模は数百人単位にもなります。いきなり宿場町にやってきて全員の宿を確保しようとしてもそれは無理な話で、そういった段取りをする先遣隊と呼ばれる人たちが本隊よりも数日先に宿場町入りし、あらかじめ宿割について手配をしていたそうです。つまり、この宿割帳は大変重要な役割を果たしていたといえます。





これは当時の人があらわした行程記というものだそうで、当時の山陽道の様子が描かれています。
作成には十数年かかったらしいですが、これがあるからこそ当時の矢掛の様子がわかるそうです。






御上段の間とありますが、ここが大名などの貴人が泊った部屋ということになるそうです。
が、センイ亭という遊び場のような、宴会場のような、そんな場所がこの本陣内にあって、お殿様はほとんどそちらで過ごしていたようです。






案内書きですね。書院造ということですが歴史の勉強をさぼっていた私にはよくわかりませんでした。






上段の間の欄間。
透かし彫りです。先ほどの案内板には桃山時代のものと書かれてましたが、実際のところは言い伝えであって、定かではないそうです。






これも上段の間の脇にある手水鉢ですが、ここがいわゆる水琴窟になっています。
水を流して聞かせてくれましたが、確かに甲高い音が響いた感じで聞こえてきました。
暑い日には涼しさを感じさせる音です。




これは戸が非常に狭く作ってあるのがわかると思います。
これも人一人通るのがやっという幅に意識的にしているそうです。セキュリティの面からの配慮ですね。






居間のような感じのお部屋でした。当主の石井さんがここでくつろいでいたのでしょうか。






台所だろうと思われます。





かまどですね。これは見るからに新しいので最近のものだと思われますが、、、。

御殿様の食事を作る人たちはさぞかしプレッシャーがかかっただろうと思いきや、大名行列には、国元でお殿様の料理を担当している人たち(賄い方)も一緒に動向したのだそうです。

それだけではなく、茶碗、湯呑から風呂桶にいたるまで、お殿様の日常生活で使用しているものはほぼすべて持って行ったそうです。

ですから、この石井家の料理担当の方々はお殿様の料理はしなくてもよかったんですね。ただ、家来の方々の料理は作らないといけませんから大忙しだったには違いないですが。。。






ここは酒蔵です。酒造りは石井家の本業です。その昔はここで大勢の人が酒造りに携わっていたものと思われます。






これが大名行列で御殿様が持ってきた風呂桶です。
なんでも、どこかのお殿様から預かっていたものが残っていたようで、こうして展示されています。
それにしてもこんなものをかついで江戸まで歩いていく・・・現代人には気の遠くなるような話です。






助郷についての説明書きです。
助郷なんていう制度自体、この案内板を見るまで知りませんでしたが、大名行列を迎え入れるというのはそれだけ一大イベントだったことがわかります。
ここにも書かれてますが、長崎奉行のときはさぞかし大変だったんですね。






絞り機です。
写真で見るとそうでもないかもしれませんが、実際に見るとかなりの大きさです。






両替用の秤りです。






これは大福帳と呼ばれるもので、当時の商人たちの帳簿ですね。在庫や注文、売掛など、商売に関する帳面です。






今こうしてみると何とも味のある看板です。






風呂釜があり、奥は3段くらい下がって槇炊きするようになっているので、てっきりここで風呂に入っていたのかと思っていたら、ここで酒作りの道具なんかを洗っていたそうです。






このアングルで見ると完全にお風呂なんですが。







というわけで、本陣石井家でした。
行く前までは本陣なんて言ってもこれほど規模の大きなものとは思ってませんでした。
なので、案内をしてくださった方の説明に感心しきりです。
昔の風情をそのまま現代に伝えるこの家は、これからも大事に保存していってほしいですね。まさに郷土の宝といえます。

矢掛本陣石井家については、こちらのホームページでさらに詳しく解説されています。

興味のある方は訪れてみてください。

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