吉備真備公園・吉備真備宮

まきび公園から出て486号線に戻り、再び西へ向かうと、ほどなくして矢掛町の標札があります。

これですね。


さらに行くと、吉備真備公園と吉備真備宮への入口が見えてきます。
ちなみに、吉備真備公園は『日本の歴史公園100選』にも選ばれた、歴史と文化香る公園です。

これは吉備真備公園の駐車場にある立て看板です。
矢掛町の見どころなんかがわかりやすく書かれています。
大きな家の写真がありますが、あれが矢掛の名物『本陣石井家』です。
矢掛は江戸時代、参勤交代の宿場町として栄え、本陣石井家には参勤交代の大名たちが多く宿をとりました。

これが本陣石井家のアップです。
江戸時代からこんな感じの家だったそうです。






駐車場入り口に立てられていた看板です。
吉備公ゆかりの地であることが書かれています。






吉備公館址の石柱です。そういえば真備町側にも同じものがありましたね。






これが吉備真備宮。いかにも学問の御利益がありそうな名前ですね。






この鳥居の連なった感じが学問の神様を祀っているという感じがしました。
鳥居の上には多くの石が乗せられています。
おそらく、受験シーズンには大勢の受験生たちがここを訪れるのではないでしょうか。






これは吉備真備宮の隣にある館址亭という休憩所です。
私訪れたときは残念ながら開店休業のような状態でしたが、これも吉備公祭など、時期によっては大勢の人でにぎわうことと思われます(吉備公祭は5月5日だそうです)。
でもこの雰囲気はやはり中国チックですね。
真備町のまきび公園に通ずるものがありました。






さきほどの館址亭の横を通り、奥に行くと、この小高い丘が見えてきます。
大きな石(オブジェ)が円を描くように置かれており、それぞれにいろんな彫刻がされていました。
何でも、前方後円墳を模した丘なのだそうで、石は方位石、風物石、歴史石などの意味づけがされています。






丘の横には、この"囲碁発祥之地"と書かれた碑石が置かれています。
囲碁発祥の地というのはどういうことかというと、、、





こういうことなのだそうです。

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囲碁発祥之地記念碑について
奈良時代の偉人正二位右大臣吉備真備公は二度にわたって万里の波涛を越え遣唐使として唐の都長安に渡航し国威の発揚に尽力され天平七年(七三五)帰国に際しては当時世界最高といわれた唐の最新の文化を数多く持って帰り、日本の政治、文化、軍制の発達に大きな功績を挙げました。
平安時代後期に書かれた江談抄には吉備公が在唐中、唐の囲碁名人と対局し、知恵をもって勝った説話があり、これが日本の著作に現れる囲碁に関する最初の説話であるところから、吉備真備公が、日本における囲碁の開祖として伝えられ、その後の各種辞典、又著作に現われております。
その故に吉備真備公は日本における囲碁の開祖であり、その居館跡を囲碁発祥の地として、吉備真備公の遺徳を顕彰するためにここに記念碑を建立したものであります。
平成二年十一月吉日
      吉備保光会
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ま、要するによくはわからないけども、囲碁の祖と言われる吉備真備公の館跡なんで日本の囲碁発祥の地としましたよ〜ってことですね。






そしてこれが吉備真備公の像です。
写真ではわかりにくいですが、実際には見上げるような高さがあり、高さは7m弱。
この公園を代表するような存在感があります。






大きさをわかっていただくために、すぐ足元から撮影しました。






これは逆方向から。
お腹周りがちょっとメタボです(笑)。






そしてこれは碁盤をモチーフにした机。

というかテーブル。

というかオブジェ?

これは写真からもわかると思いますが、結構な大きさです。
設置が大変だったのではと思ってしまいました。






これは日時計ですね。
なんでこんなところに日時計が、、、って思ってしまいますが、吉備真備公は、実は遣唐使として唐に渡った際、天文学や暦法を持ちかえったとされており、それらを元にして陰陽道が発達したことから、陰陽道の祖とも言われています。
それと関係があるのかどうか、この矢掛の地には、安倍晴明ゆかりの地というものもあるそうです。
相当に歴史深い町ですね。






ちょっと離れたところから撮影してみました。


















これは吉備真備公の産湯の井戸ですね。
真備町にもあった例のヤツです。でも、こちらの方が古臭くてかえって本物っぽいですね。






案内板まで同じこと書いてます。
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吉備大臣産湯の井戸

吉備大臣ご生誕の前夜、東の空から明るい光りの尾を引いて一つの星が流れ御館の西の井戸に落ちました。
そして次の夜輝くばかりの玉のような男子が誕生し御館は歓びにわき、この井戸を「星の井」と呼び、この水で産湯を使われましたので、それからこの井戸が「吉備大臣産湯の井戸」と言い伝えられています。
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これは先ほどの吉備真備公園を出て、さらに矢掛の中心地に向かう途中に立ち寄った圀勝寺(コクショウジ)です。
入るところが悪かったのか、境内に入れなかったために駐車場から乗り出して撮影しましたがこれではよくわかりませんね。残念。。。


ちなみに圀勝寺は、天平勝宝八年(726年)に、かの吉備真備公により創設されたという由緒正しいお寺です。
圀勝というのは、吉備真備の父親、"下道圀勝"からとっているとされているのですが、この圀という字が唐の則天武后により制定された則天文字であり、制定後間もなく下道氏が使用していることからその勢力の大きさをうかがえるとこちらのホームページで読みました。

また、この圀勝寺は、椿と骨壺でも有名です。
骨壺というのはこちら。

これは矢掛の郷土美術館に展示されているレプリカですが(本物は圀勝寺にあるそうです)、この骨壺、実は吉備真備公の父親である下道圀勝氏の母親、つまり、吉備真備公から見れば祖母に当たる人物の骨壺であると蓋に刻まれているのです。

1699年に発見され、このお寺で祀られています。もちろん国の重要文化財に指定されています。

吉備真備公のおばあさんの骨壺が現代に伝わっているというところがなんともすごいお話だと思いませんか?

あと、椿についてですが、これは境内に入れなかったこともあり、また時期はずれなこともあり、写真はありません(涙)。
が、この椿、春先になるとプロ・アマ問わず大勢のカメラマンが撮影にくるくらいに有名ですから、web上にもいたるところで椿の写真が公開されています。

ここここなんかでご覧くださいませ。

圀勝寺 矢掛町東三成1344

吉備真備のふるさと

矢掛中心部

矢掛郊外

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