下道氏の墓

吉備真備公園を後にしてまた486号線に戻り、矢掛中心部に向かっていると、

こんな看板が・・・。

国指定重要文化財
下道氏の墓


国指定の重要文化財とは見逃すわけにはいきません(笑)。

下道氏とは、吉備真備の父系にあたります。真備公より吉備姓を名乗ってますので、下道氏といわれてもどんなすごい一族なのかあまりピンときませんが、真備公が吉備姓を賜わる前は下道真備だったと考えると、なかなか重みのある名前だと印象も変わってきます。ただし、本当に下道真備という名だったのかどうかは管理人の勝手な憶測にすぎませんが・・・。


そんな下道氏の墓という看板を見つけたからにはぜひ見てみたいということで、早速ハンドルを右に切り、486号線脇の上り道を上がっていったのですが、

道の細いこと、細いこと・・・。
これでは対向車が来ても交わせません。

しかも、下道氏の墓がどこにあるのか、皆目見当がつきません。


おかしいなぁと思いつつ先ほど走ってきた486号線を見下ろしてみると、

やはりどこかにあるに違いない。
でも下道氏の墓ではなく公園と表記されているのは・・・?

墓と公園、二つあるのか、それとも同じ場所を墓とか公園とか言っているのか。。。

頭がこんがらがってしまいました。



途中、井原線の架橋を電車が走ってたのでパシャっ!

車両がひとつだけだとかわいいですね。この井原線、開通までに数十年かかったことで有名です。



細い田舎道をうろうろしましたが、どう考えても行き過ぎたという判断になり、再度486号線に出て、先ほどの標識のところに帰り、改めてゆっくり車を進めると、、、

道を上がってすぐのところにこんなものが・・・。

と言っても、最初に通った時から見てはいましたが、こんなにささやかなわけはないと素通りしていました。

しかし、この写真からもわかるように、

『吉備公累代墓』

という石柱が立っています。これを最初に通った時には見逃していたようです。

これですね。
読んで字の如く、吉備氏のお墓ということでしょう。





確かに、ささやかとは言え、田舎小道には仰々しい感じもします。




しかし、これが吉備氏(下道氏)の墓だとしても、国道沿いにあった下道氏公園というのがよくわかりません。
だって、墓なら納得ですが、どこからどう見ても公園ではありません。

これ、公園には見えないですよね。


というわけで、もしかしたら公園は別にあるのではないか、そんな思いを強くし、この『吉備公累代墓』の前で二手に分かれている右側の道をさらに車を進めてみました。
(左の道は最初に通った道です)


が、数メートル進んだだけで、先の道が車を乗り入れるにはかなり不安なほど急勾配で細い道だったので、車はそこに留めて徒歩で歩くことにしました。
思いっきり道の真ん中に車を留めることになりますが、そこは田舎道。滅多に車は通らないだろうという算段のもとでの判断です。


こんな道です。車で乗り入れるには少々勇気がいることをお分かりいただけると思います。


やっぱり何もないのかなぁと思っていたら、いきなり、ドンと石段が目の前に現れました。

結構な段数があります。そしてその先には・・・





ジャン!って感じです。
石段を登り切ると、そこには広場が。




しかも、広場入口付近には、こんな石柱が建ってました。
『史蹟 下道氏墓』と彫られています。



さらに広場奥に歩を進めると、

やはり、ここが下道氏公園だったようです。






意外に整備されています。最近、何かお祭りとかがあったのかもしれません。






これは広場の一番奥にありました。

『右大臣眞吉備公の墓』

とあります。まぎれもなく、吉備真備公のことですね。こういう石柱に眞吉備(まきび)という表記は珍しいです。ここは矢掛町ですが、隣の真備町(まびちょう)は、"まきび"ともいわれたりします。

「へぇ・・・。」と感心しつつも、この公園には石碑や石柱があるのみで周りは林です。昼でも少々寂しい感じがしますし、何より道のど真ん中に留めている車のことが気になります。

5分といませんでしたが、写真を数枚撮っただけでこの場所を後にすることにしました。





というわけで帰り道です。石段が延々と続いている感じが伝わりますでしょうか。
延々というのは言い過ぎですが・・・。


吉備真備の父親は下道圀勝(くにかつ)といい、彼までが下道姓を名乗っていたのですが、真備公のときより、吉備姓を名乗ることが許されました。
もともと、下道氏は、かの桃太郎のモデルとされる吉備津彦命や彼の父である孝霊天皇の流れをくむ名門一族です。ご先祖様の"吉備"を名乗ることが許されたわけですね。

ちなみに、吉備真備公の系譜を調べてみると、

孝霊天皇→若建吉備津彦命→御?友耳建彦命→吉備建彦命→・・・下道圀勝→吉備真備

こんな感じです。
真備のときより吉備姓(性格には吉備朝臣姓)を賜ったのは、やはり吉備真備公の力量が背景にあったのかもしれません。

吉備真備のふるさと

矢掛中心部

矢掛郊外

サイトについて

当サイトはリンクフリーです。どんどんリンクしてください。また、相互リン クも常に募集しています。相互リンクについてはジャンル的な問題がある、サ イト内容が著しく乏しいなどの場合を除いては基本的に大歓迎ですので、お気 軽にお誘いくださいませ。

Copyright © 2007 ニッチ旅行倶楽部. All rights reserved